YMOと私

2023/04/02

音楽

坂本龍一さんが3月28日に亡くなったという報道があった。

私は妹からのLINEでそれを知って、ネットニュースで読んだのだ。

遡ること2ヶ月ほど前の1月11日にはYMOのメンバーだった高橋幸宏さんも亡くなっていて、短い間に訃報が続いて感情の表現に至らないのだけれど、とにかく残念でならない。

私のような1人のファンよりも、細野晴臣さんの気持ちといったら計り知れない。

YMOの音楽を初めて聴いたのはFMラジオだったのだろうか。当時は小学生だったので記憶がない。

それでも子供心に、それまで生きてきた短い時間で聴いてきた音楽とは全然違うものとして感じ取ったのは覚えている。

同級生にLPレコードからカセットテープに録音してもらって聴き入ったのは中学生の頃だった。

何でこんなに正確に覚えているのかというと、録って貰ったのが少し個性的なタイトルの“いわゆる「テクノデリック」(TECHNODELIC)”というアルバムだったからだ。実際にその前に出た“BGM”と併せて、“ソリッド・ステート・サヴァイヴァー(SOLID STATE SURVIVOR)”で作られたYMOの印象を変えてくるアルバムだったと思う。

YMOはソロ活動も盛んだったし、他の歌手などへの曲の提供なども多かった。メディアへの露出も多くなり、“スネークマンショー”や“ビックリハウス”などのイベント的なものへの参加もあった。

そして、1983年に散開(解散)。

とてもショックではあったのだけれど、その頃に発売されたアルバムなどを聴きながら何となく近々そういうことになるのではないかという気はしていた。

10年後の1993年に再生(再結成)。

むしろ、こちらの方が驚いた。

もちろん嬉しかったし、散開ライブには行かれなかったが、東京ドームの再生ライブには行った。

当時のライブパンフレットとチケット

パンフレットを眺めていたら、再生時の新しいアルバム“テクノドン(TECHNODON)”の宣伝ポスター写真があり、『YMOもいつか死ぬ』というコピーに、不覚にもうるっとしてしまった。

3人それぞれがYMOの誰々という括りを外れて活動し、時にはユニットを組んでアルバムが出たり、CM曲で聴けたり、細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一という人達は、ずっと身近に居た気がする。

そして、これからも居続けるのだと思う。