1度訪れてみたいと思っていた、茨城県潮来市。湖や川に囲まれた地域で水郷と呼ばれ、アヤメが有名なことを知っている程度だ。
ネットで見掛けた寺院へ行ってみたいなあと思ったので調べてみると、周りに多くの神社仏閣があることを知った。
よし、梅雨や猛暑の前、混雑しそうな“あやめまつり”が始まる前に行ってこよう。
と、思い立ったはいいものの、Googleマップで調べた最短ルートとカーナビの示したルートが全然違って倍近い時間が掛かってしまった。それでも特に問題もなく無事に辿り着いて何よりだ。
まずは市営の無料駐車場に車を駐めさせて戴いて、いざ潮来市寺社巡り。
臨済宗 海雲山長勝寺
1185年に源頼朝が武運長久を祈願して創建したと伝えられる。
国の重要文化財に指定されている銅鐘は、北条高時が源頼朝の菩提の為に寄進したと説明がある。
残念ながら位置が高くて私には鐘がよく見えなかった。
さて、御朱印をお願いしようと奥へお邪魔すると『御朱印の授与はしばらくお休みします』との貼り紙があり、往路の遠回りも重なって幸先が悪いなあと少し肩を落としたのだった。
駐車場へ戻ってきたらこんな案内を見つけ、何か行事の為に手が回らないのかもしれないと思ったりする。
駐車場から国道へ出て10分ほど歩く。
車で訪れたとしてもこれは判りやすい。素鵞熊野神社(そがくまのじんじゃ)
約800年の歴史がある。元々は素鵞神社と熊野神社は別々だったそうだ。
幾つもの鳥居と狛犬の間を通り抜ける。新しめな狛犬。
そしてようやく石段へ。
ここに居るのは、岩に登っている系(“系”とか言うな)の狛犬。
環境もあるのかもしれないが、こっちの方が年季が入っている。
今日は予想よりも蒸し暑く、登りきった頃には汗だくだ。
寺院もそういうものだが、山全体が神域という感じがとても分かりやすい印象を受けた。
改めて、樹齢800年という“潮来大欅”を見上げる。
ケヤキの幹のイメージはスラッとスリムな印象があるのだけれど、何かが違いすぎる。800年、我々人類の何をどれだけ見てきて、これからどれだけ見ていくのだろう。
御朱印はシャッターの閉まった授与所の側に書き置きがあって、お代は一緒に置いてある袋に入れて拝殿に納めてくる。
私も帰宅後自分で書いたのだが、散々練習したのに本番が一番ヘタクソになって暫し落ち込んだ。
神社から国道へ出て、駐車場へ戻ろうか12時半を回り腹も空いたので何処か近くで食べるところはないだろうかと見回すと、ほど近い場所に蕎麦の文字。
嬉しい、手打ち蕎麦食べたい!神社仏閣巡りには蕎麦だよ。常陸秋そばの手打ち二八そばは、蕎麦の味が濃くてしっかりめの食感が堪らない美味しさ。午後も元気にお参りに行こう。
市営駐車場へ戻ってきて、車に乗り込む前に向かい側にある煎餅店へ寄った。
潮来は米どころなので土産といったらここの煎餅、という有名店らしい。創業は昭和44年、店の中で炭火で手焼きをしているそうだ。
土産に買い込んできた。
道路が空いていたので車で10分程度の、潮来市街から少し離れたところに今回潮来へ来るきっかけになった寺院がある。
奈良薬師寺 東関東別院 水雲山潮音寺
車で移動していると、判りやすく広い駐車場があるのがありがたい。
広い境内の中で立ち入れないように囲った部分などを設けて、多くの作業員が庭の手入れなどの作業をしている姿が見られるが、真ん中の芝を突っ切って本堂のお参りをして下さいと言われる。
華やかな本堂は、中も明るくて開けた中で観音様などの仏様を拝むことができる。50年前に潮来市日の出という地域に建てられた潮音寺は、東日本大震災の時に日の出地域で起こった大規模な液状化により周りの住宅街と共に大きな被害を受ける。実際にはまだそこからの再建中なのだそうだ。
震災で土台が沈んだり傾いたりした鐘楼も新しく建てられたとのことだ。お話を伺えたことや丁寧に御朱印を直書きして戴けたことは、とても嬉しかった。
庭の花が見頃の時期で、全体に明るくホッとする印象の寺院だった。牡丹の時期に来るとまた楽しめそう。
潮音寺を出て車で15分くらい掛かったのだろうか。やはり潮来市街からは外れた所にある寺院の駐車場へ着く。
ここも立派な墓地が隣接しているので駐車場が広くて駐めやすい。
天台宗 羽黒山二本松寺
平安時代の天長年間に現在の潮来市茂木(現在の場所より北の方)に創建されたと伝えられている。
鎌倉時代に、この土地の嶋崎氏が築城の際に鬼門除けとして土地を寄進し、二本松寺は現在の場所に移転開山した。この時に境内を城郭として嶋崎城の砦の役割を持たせたということだ。
他の土地の寺院でも見掛けたことだけれど、城と寺は結構密接だったのだな。
ここは紫陽花の寺として有名なのだそうだが、紫陽花の時期にはとても混むようなのでやはり時期を外してお参りした。
変な言い方だが、全体に手入れが行き届いているという印象。
こちらには元三大師もいらっしゃる。
木漏れ日の差す静かな庭は、心が落ち着く。
鐘楼に鐘が下がっていないのだが、これは戦争の折に金属を供出した名残りらしい。
御本尊の薬師如来のみならず、元三大師の御朱印も戴けてとても嬉しい。
それから再び潮来市街へ戻ったのだけれど、ここで車を駐めようと思っていた駐車場が見つからずに苦労した。前もって地図で見ていた道とカーナビが示した道が1本違っていたのだがそれに私が気付けなかった。
同じ道をグルグルと何度も走っていたので、地元の人に“あの車さっきから何度も通って怪しい”などと思われていたかもしれない。
何とか予定していた駐車場に辿り着いて駐めてから、徒歩で本日最後の寺院へ。
浄土宗 大永山浄國寺金剛力士像に迎えられて本堂へお参り。派手さはないが個人的に彫刻が好み。参道のすぐ横に多くの墓碑が建ち並んでいるのだけれど、仏像も多い。とても全てをお参りできなかった。
しっかり説明文のあるところが、仏教初心者に優しい。涅槃像にお目に掛かれるとは思わなかったな。
こちらでも丁寧に御対応戴き、潮来市の寺社参りも多くの加護を戴いて帰路に就こう。
とはいえ、せっかく水郷潮来まで訪れたのだから前川を見ずに帰ることはないだろう。
天王橋から前川を臨む。前川は利根川と繋がっていて、江戸へ向かう船が潮来で荷物を積み替えたりする中継港として栄えていたのだそうだ。
今は前川に架かる橋を巡る観光船の船着き場がある。近々開催の“あやめ祭り”に向けて準備が進められているようだった。
明治32年建築の旧家磯山邸という古民家を現在はリノベーションして宿にしているらしい。
いかにもお屋敷という外観。
昭和14年に前川沿いに建てられた常夜灯が東日本大震災で倒壊し、その後有志の手で移転復旧されたもの。
東日本大震災は当時も今も東北の被害が大きく取り上げられるのだけれど、茨城や千葉の被害が大きかったことも記憶と記録に残しておきたい。
市内で見掛けるマンホールは、やっぱりアヤメが描かれているのだった。
さすがに疲労が蓄積しているので、帰路へ向かう前に道の駅で一服してから。
見てはこなかったけれど“道の駅いたこ”には、グラウンドゴルフを楽しめる場所が併設されている。これを目的に行く人もいるらしい。潮来市産の牛乳を使用したジェラートは、抹茶味を戴いた。
疲れた身体に染みる。美味しい。
ちなみに帰路はカーナビを信用せずに利根川沿いの県道を走ってきたので、予想以上に早く帰ってこられた。
次回訪れる時には、しっかりこの道を行きたいものだ。
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