都道府県会館を後にして、徒歩10分くらいの場所にある江戸三大天神の1つ平河天満宮をお参りすることにした。
今回お参りするに当たり調べたところ、江戸三大天神は平河天満宮の他、亀戸天神社・湯島天神ということだ。
平河天満宮の代わりに谷保天満宮を挙げられるものも見るが、“江戸”という括りだと国立市の谷保天満宮は少し遠いという話も見る。天気予報では曇りであまり気温も上がらないというから出かけてきたのだが、とても蒸し暑く、頭からも背中にも汗が滴る。
平河天満宮は江戸平河城城主太田道灌が文明10年(1478年)に創建した。
天保15年(1844年)に奉納されたという銅製の鳥居は、緑青の色も判りにくいほど渋い色味になっている。
鳥居をくぐると古そうな大きな常夜灯が建っている。
嘉永5年(1852年)に奉納されたという銘文があり、その年は菅原道真の950遠忌(年忌)のご開帳などが行われていたのでその時に奉納されたのだろうという説明書きがあった。
歴史もさることながら、働く人も多いし交通の良さなどもあるのだろうか、参拝する人が絶えない。関東大震災や戦争など、幾度もの火災で焼失し再建されてきたそうだ。
年季の入った印象の狛犬は享和元年(1801年)に麹町周辺の住民によって奉納され、その後火災などで壊れた部分を修復して、嘉永5年に再建されたという銘文が残っている。
それでも永きに渡りここを守ってきた2匹には、欠けた痕跡などが多々見られる。
嘉永5年(1852年)に奉納されたという石牛は、学芸が上達するとされる“撫で牛”として多くの人に撫でられたせいか、あちこちが摩耗したり欠けたりしている。幾らか新しく奉納された石牛も2対(4頭)いた。天神様(菅原道真)の使いとされる牛は、菅原道真が丑年生まれであり亡くなった日も丑の日だったこと、また亡くなる前に“遺体を運ぶ車を人ではなくて牛に曳かせて、牛が座り込んだ所に墓所をつくるように” という遺言を残したことからという謂われがある。
その座り込んだ場所に安楽寺という寺院が建てられて、後に太宰府天満宮になったのだそうだ。
だから、石牛は立ち姿ではなくて座り込んだ姿(臥牛)とのこと。
平河稲荷神社は小さいながらも立派な参道がある。
境内社として大鳥神社・塩神社・浅間神社を奉る三殿宮。
8月いっぱい、山の日にちなんでこちらの浅間神社の御朱印もいただける。
授与所で平河天満宮の御朱印と境内社浅間神社の御朱印を戴いた。
浅間神社の御朱印は書き置きだが、もちろん日付を入れていただける。御朱印を拝受する時におせんべいをいただいた。一瞬、何かいびつに思う形だったが、袋に印刷された柄と併せて見ると、梅だと気付いた。
菅原道真といったら梅の花ですなあ。
亀戸天神社と谷保天満宮も行かないとなあ、などとそんなことばかり言っている。

















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