再びの善光寺出開帳

2013/05/13

寺社

先週の9日に引き続き、再び両国・回向院へ馳せ参じた。会期終了が近くなってきたせいか、先日よりも人が多い気がする。
入場券売場のテントで“お戒壇巡りは如何されますか”と訊かれたが、“2度目の参拝なので”とお断りした。
先日、お戒壇巡りを体験したが、やはり本場善光寺とは大分違って“体験版”という感じであった。

回向柱に触れようかと近付くと、何やら足下に大きな物体が落ちている。
いや、物体って、猫だし。
立ったまま眺めていると、まるで死んでいるのではないかと不安になるほど身動き一つしない。勿論、参拝の方々も気付いて避けて歩いてはくれるが、通路や回向柱の周りもそう広くはないので、猫のすぐそばを歩くことになる人も多い。
それでもピクリともしないので、しゃがんでよく眺めて見たら、腹の辺りが僅かに膨らんだり凹んだりをしているのを見て安心した。

せっかくまた訪れたのだからと、今度はゆっくり仏様を拝させて戴こうと上の階へ。
念珠回廊は今日も美しい。
昨日と違う仏様のいらっしゃる大珠を探して撮ってみたが、やっぱり難しい。
気に入った美術展などには必ず二度訪れるという話をたまに聞くが、やはり二度見ると最初は気付かなかったことに気付いたりして、ああ、この菩薩様はこんな装飾を着けていらしたのかと改めて見入ったりした。

無事に、出開帳バージョンの御朱印を戴き、出口の方へ歩を進めると先程の猫が別の場所でのんびりと自分の身体を舐めていた。
ちゃんとこちらを向いても眼が半分くらいしか開かなかったり、毛並みも大分ボソボソしていて“結構なお歳なんですなあ”などと軽く撫でたら気持ちよさそうにしてくれた。

さて、上が“出開帳バージョン”の御朱印で、下が先日戴いた善光寺の御朱印。

右上の朱印が善光寺は山号“定額山”で、出開帳ver.は“出開帳”。真ん中の御朱印が善光寺は“善光寺本堂”で、出開帳ver.は“梵字”が。そして、出開帳ver.の左下の朱印は“善光寺 回向院”の二つの寺名が並んでいる。
これを戴きたくて、朝から家事を頑張って早く片付けて出てきたのだった。

それから、せっかくなので“善光寺 御詠歌(ごえいか)”も戴いた。御詠歌とは“仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律=曲に乗せて唱えるもの。日本仏教において平安時代より伝わる宗教的伝統芸能の一つである。”と、かのWikipediaに書いてあった。
「身はここに 心は信濃の 善光寺 導き給まへ 弥陀の浄土へ」
と、詠むのだそうだ。これも、その場で教えて戴いたのに覚えきれなくて調べ直した(情けない)。


それから先日も気になった、回向院の裏口を出た正面にある寺院らしきビル。

“高野山 大徳院”とあるが、新しい寺院なのだろうかとか近付いて見たら
実は古くからこの土地にある寺院で、やはり様々な理由で近代建築に建て直したもののようだ。
“御府内八十八札所 第五十番霊場”の碑もある。

意を決して“ごめんください”と、自動ドアから中へ入る。すると、ごく普通の事務服を着た若い女性が来てくれた。
飛び込みで突然来訪した無礼を詫びた上で、外の説明書きを読んで参拝が叶えばと思ったことを話すと、法要があって、上の方では食事会をしている部屋があるが“三階の”本堂と一階のお大師様は御自由にどうぞと丁寧な説明を受ける。
シンと静まりかえった三階の本堂。今時の都会の寺院だなあと思ったりする。
その後、一階の大師像を拝ませて戴いてから御朱印をお願いすると、滅多にそういう人が来ないのか事務室の数人で話し合った後、女性が朱印帳を持って外へ出て行った。
何処で、どなたが筆をふるって下さったのかは謎だが、力強さを感じつつも全体の雰囲気が柔らかい、いい御朱印を戴いておいとましたのだった。


帰宅すべく両国駅へ戻ってくると賑やかなのぼりが眼に入ってきた。
先週はまだ始まっていなかったので気付かなかったのだけれど、国技館では昨日五月場所が始まった所だった。そういえば、行きの両国駅で浴衣姿の若いお相撲さんと一緒になった。
わざわざ入口の方へ回って撮ってみる。国技館は何度か来ているが、例え前まででも大相撲の最中に来たことがないので、ちょっといいものを見た気分。


善光寺や相撲と全く関係ないが、地元の方へ戻ってきて自分の乗る列車を待っている間、反対方面のホームに以前から気になっていたラッピング電車が止まっているのに気付いた。
普段は線路沿いの道を車で通るので、何の宣伝だろうかと思ってもゆっくり確認ができないでいたのだ。
へえぇ、稲作用の除草剤の宣伝か。さすが茨城、米どころ。
しかし、このネーミングセンスとキャラクター?も、何となくさすが茨城。