善光寺出開帳

2013/05/09

寺社

寺院の“御開帳”というのは、普段の参拝では拝むことの出来ない秘仏などを特別に期間限定で公開して、多くの人に拝んで貰おうという催しで、その寺により年一回であったり、何十年、何百年に一回であったりする。
今ほど交通の便が良くない時代には、誰しもが一度は訪れてみたいと思うような寺に参拝することもままならなかった。そういう人達の為に“出開帳”といって、寺の本尊や秘仏を他の土地に運んで御開帳をすることがあったのだそうだ。
御開帳は有名な行事であるのでさすがに知っていたが、このほど長野の善光寺が“東日本大震災復”ということで、両国にある“回向院(えこういん)”で江戸時代に行われた以来の“出開帳”を催すという事を、善光寺から出開帳仏が出発したというのをテレビのニュースで見て初めて知ったのだった。大体“出開帳”という催し自体の存在もこの時に初めて知った。

沢山の人が来やすいように(きっと)と大型連休の開始4月27日から始まった出開帳も、今月19日まで。来週は後半に予定があるのでそろそろ行かねば!と、本日出掛けたのだった。
両国の駅を出ると、もう街の中は出開帳ののぼりなどが立ち並ぶ。
地図なんかなくても余裕で回向院まで行けてしまうだろう。国技館の前の広い通りを京葉道路(国道14号)に向かって歩けば、そこは回向院。
車で秋葉原へ行く時に途中から京葉道路を使うのだが、時々止まる信号の所が回向院の参道入口だったなんて知らなかったよ。

参道に作られた入場券販売テントで出開帳の参拝券と、長野の善光寺にもある“お戒壇巡り”を特別に体験できる券を購入すると、“出開帳公式ガイドブック”を戴ける。
これに、出開帳の歴史や善光寺、そして回向院の歴史、そして今回の出開帳の見所などが参拝案内図と共に載っている。

入場券を購入して一応ロープで仕切られた入場口から入るとすぐに眼の前に“回向柱(えこうばしら)”が立っていた。
回向柱というのは御開帳の折に本堂の前に立てられ「善の綱」で本堂の御仏様の右の手と結ばれる。この柱に触れることは御仏様に触れるのと同じ御利益があると言われているのだそうだ。
普段善光寺での御開帳の時には長野県松代町の木が奉納されているのだそうだが、今回の出開帳では岩手県陸前高田市から寄贈された杉の木(復興住宅の造成に伴い伐採される木)が用いられたとのこと。
だから今回は善光寺の御仏様との御縁の他に、陸前高田市の人達との御縁も繋がるのだと回向柱の説明をして下さる。
眼を閉じて心静かに、そっと触れてきた。

その先、回向院の念仏堂という御堂の一階で出開帳仏を拝することができた。
勿論、写真撮影はできないので、公式ガイドブックより。

さて、この念仏堂の二階には、被災地からおいでになった菩薩像が公開されている。
その部屋へ行くまでの回向寺“念仏回廊”というのが凄かった。
竹林の間にスワロフスキーガラスの念珠が下がっている。この中の一番大きな大珠の中には様々な仏様が彫られていて、大珠を探すのがちょっと楽しかった。
とはいえ、こういうものの撮影は難しい。

そして、この回廊を抜けた先の部屋に被災地陸前高田市の松の木で彫られた地蔵菩薩や津波で流されたガレキの中から見つかった如意輪観音菩薩座像などを拝することができた。
こちらも、ガイドブックより。

本堂の三階には、善光寺の文化財が展示してあった。
何が珍しいって、善光寺の仁王門を護る仁王像の原型となった木造の金剛力士立像が来ていることだ。仁王門の両側におられる時は大体、柵のなかで壁を背中にほぼ付けた状態で立っているので、あまり背中側の姿を拝することはできない。そういう意味でも見る価値があるというものだ。
涅槃像を観ている初老の御夫婦のご主人が
「こうやって横向きに寝られるって凄いなあ、俺は疲れちゃってダメだなあ…」
と、しみじみ言っていたのが面白かった。スミマセン、私は仰向けだと寝付けないので、いつも横向き寝です。

さて、本堂一階のロビーでは善光寺の御守りや、今回の出開帳の為の特別授与品の頒布、善光寺と回向院の御朱印所、それから善光寺から来て戴いた“びんずる尊者座像”が、所狭しと並んでいた。
出開帳グッズ(グッズとか言うな)は、欲しいものだけを戴くこともできたのだが、出開帳参拝セットをお願いすると“散華(さんげ)”のオマケも付くという。これまで特別な大金を被災地に投じてきたわけではないので、せっかくだからセットをお願いした。

中に入っているのは、出開帳の木札。これは、朱印をその場で自分で押させて戴ける。それから、“復幸しゃもじ”。
このしゃもじで自分の身体の痛い所や治癒させたい病気のある所を、びんずる尊者像の同じ所を撫でると御利益があるそうなので、左の肩から首の辺りを撫でさせて戴いた。偏頭痛や鬱病は脳などの頭の病気なので頭を…と思ったが台座の上にお座りになっておられるので届かなかった。

それから、今回拝することができた仏様のブロマイド(コラッ!)と“散華”。
散華というのは、御開帳や御堂の落成などの時に昔は生花の花びらを撒いて祝ったらしいのだが、現在は蓮の花びらをかたどった色紙を撒く。その花びらや色紙を散華というようだ。
と、恥ずかしながら家に帰ってきて調べて初めて知った。

回向院の御朱印を戴いて帰ろうと朱印帳は持参していたが、まさか善光寺の御朱印も戴けるとは。と、嬉しくなって、いそいそと持参した朱印帳を出す。善光寺の朱印帳も素敵なものがあって欲しいと思ったのだが、やはり長野の善光寺へ行ってこそだと思うので、やめておいた。
善光寺の御朱印。

回向院の御朱印。

回向院はペットの供養なども有名だそうで、こういった供養塔もある。

そして、知らなかったのが“ねずみ小僧”の墓もあるということだ。
下町らしさというか、古くから地元で大事にされてきた寺院だなあと、しみじみしたのだった。

裏門から出てきて、隅田川の方へ向かって歩き始める。
両国駅界隈もそうだったが、この辺りは向こう三軒両隣みんながというくらいにこのポスターが貼ってある。その中でこのポスターを選んだのは、貼り方がツボにハマったというだけ。


さて、せっかくここまで来たので隅田川に掛かる両国橋を渡って“薬研堀不動院”も、お参りしていこうと計画していた。
この橋を徒歩で渡るのは初めての事で、時々立ち止まって景色を眺めた。
私の父は江東区で育ったのでこっちの方はよく知っているようだが、私は父が結婚して23区外へ引っ越してから生まれ育ったのでこの辺りのことはよく知らないが、もう海が近いのだろうか潮の香りがする。そういえば随分海を観てないなあ。
眼を反対側に向けると、スカイツリーも見える。

両国橋を渡りきって、二本目の道を左に入って…と家でプリントしてきた地図を見る。薬研堀不動院はビルとビルの間にあるので通り過ぎそうになるような感じだと、どなたかのブログで拝読したので見つかるだろうかと心配していたのだが、この“のぼり”を辿って行けば着けるような気がする。

そうやって、のぼりを目印に立ち並ぶビルをキョロキョロと眺めながら歩いていると、やはりビルの谷間に異彩を放つ建物が現れた。
インド仏教の寺院かと思う建物は、近付いて見ると“日本山 妙法寺”という寺院名がある。そして“南無妙法蓮華経”と彫られた石碑も。とても狭い階段は薄暗く、しかしただ通り過ぎてしまうには惜しいものがあった。現在の街中の寺院には土地の都合上、普通の家屋のような寺やビルの一室に入っていたりという所もあると聞く。
意を決して階段を上っていくと“扉を開けて中で大きな声で呼んで下さい”というような手書きの伝言板を見つけた。
「ごめんください。」
きっと、老齢の和尚殿なのだろうかと思っていると、作務衣姿の私の親くらいの年齢かと思われる尼僧が出ていらした。
前の道を歩いていてあまりに独特のお寺を拝見したので、図々しく急に寄らせて戴いたのだが、拝ませて戴くことは可能だろうかということを伝えると、散らかっているのだけれどそれでよかったら、どうぞどうぞと上げて戴けた。
昔は平屋のごく普通のお寺の家屋だったのだけれど、この辺りの区画の整備や土地を借りている地主との兼ね合いなどもあって、細く高くという建物になってしまったそうなのだ。そして、周りのビルと混ざってしまって寺院だと解りにくくなってしまったので、思い切って建物の見た目を目立つようにしたと、現在ここで一人寺院を切り盛りする庵主(あんじゅ=日蓮宗では尼僧をそう呼ぶ)さんは説明してくれた。
しかも、私の為にお湯を沸かしてお茶を淹れて下さって。
善光寺の出開帳を拝して、これから薬研堀へ行こうとしている所だったと話をしたり、私の病気の話をして励まされたり、このお寺の日本山妙法寺というのは非暴力運動などに力を入れたり、9月1日の関東大震災のあった日には、あちこちの同じ系列?のお寺から僧侶が集まって両国近辺をお経を唱えながら歩いたりする活動をしたりしているという話を伺ったりした。庵主さんもインドで修行をしてきたりしたそうだ。
色々な話をしていると何だかとても気持ちが落ち着いて、気心の知れた歳上の知人と話をしているような気持ちがするのは、やはり気さくな方であるからだろう。
驚いたのは、各地に日本山妙法寺の仏舎利塔があるという話をした時に、私が仙台に居た時にも高校の近くに立派な仏舎利塔がありましたと話すと、妙法寺仙台道場の仏舎利塔がそれだということだった。しかも、例の2011年3月11日には、そこに行っていたということだ。これも人の縁というやつなのだろうか。

庵主さんは夕方から出掛ける用事があるというのは初めに伺っていたので、私も長居して済みませんとおいとまさせて戴く前に、本殿を撮影させて貰った。庵主さんは“狭い本堂だから所狭しと何でも置いてあって恥ずかしいわね”と。
何かのついでや辛いこととか何か話がしたくなったら、いつでもいらっしゃい、と仰って下さる。
御朱印などをいただけますかと尋ねると、昔は朱印があったのだけれど今はこうやって尋ねてくる方が少ないからすぐには見つからなくてと、それでも一筆、と書いて下さった。
朱印の代わりにと散華を端の方に貼り付けて
「これでヘタクソな字が少し隠れるわね-。」
と、笑う。
是非、今度は茨城の何かお茶請けになりそうなものを持ってお邪魔します、と挨拶しておいとました。庵主さんは、足がお悪いのに“下まで行かなくちゃいけないのに足が不便でゴメンね”と言いながら、階段の上まで出てきて見送って下さった。


そして、再び先程の赤いのぼりを目印にもう少し歩いて行くと、やはりビルの谷間に異彩を放つ建造物が。
“薬研堀不動院”に到着。
やはりここもビルに両方から押し潰されそうに縦に延びる形で建っている。階段を上がるともうそこが本堂である。
それでも、やはり有名なので私の他にも朱印帳を持ってお参りをしている若い女性がいた。
何分狭い本堂なので、私もお参りをしたり授与物の見本を見たりして、先にいらした女性と入れ替わりで朱印をお願いした。

それから、授与品で気になっていて、どうしようか悩んだのだが実に珍しかったので戴いてしまった、

“薬研堀不動尊立体曼陀羅”
うはー、格好いい!でも、こういう状態で置ける場所がないな。


そして、帰宅してから重大なことに気付いた。
善光寺出開帳で戴いた御朱印が“長野の”善光寺の御朱印で、今回の“出開帳バージョン”の御朱印があって、そちらを戴かなければいけなかったことだった。いや、いけなくはないのだけれど、せっかく出開帳だからこそ両国までお参りに行ったのに、出開帳バージョンを戴かなくてどうする、ということなのだけれど。
こうなってくると自己満足の世界なのだが、もう一度お参りに行く。