そろそろ今年の桜も満開になったろうと、毎年観に行っている場所へ行くことにしたのだが、ふと思い立って先に“白山神社”へ行くことにした。
住宅街を抜けると細く淋しい一本道になって、人っ子一人いない。
あの木々の向こうにある筈なんだが。
一応舗装はしてあるものの、昔はちょっとした山だったんだろうなと思われる。
道の脇を川というほどでもない、雨水が染み出してきたような水の流れも見られた。
実際に歩くと、まあまあ登る。
これはもう、イノシシやサルが現れても驚かない(いや、驚くけど) 。
上りきったところから、それなりに敷地の広い住宅がまとまって建っていて、昔からの集落といった感じがある。
集落の端寄りに高台と拝殿らしき建物が見えたので、参道の入口へ回った。
茨城県取手市野々井地区にある白山神社まずはお参りをしなくては。
神社は718年(養老2年)に創建されて、本殿は1749年(寛延2年)に建築されたものだが、何度も修理などを重ねてきて2006年(平成18年)に本殿の覆屋と拝殿が建て替えられたという案内があった。
というわけで、見た目がとても新しい。
狛犬はモフモフ系。
新しいとはいえ、彫刻などはやはり素敵だ。
ここは“新四国相馬霊場八十八ヶ所”の62番にあたる。
こちらも時々修繕したりしているようで、木肌が新しそうだなあなどと思いながらお参りしてきた。
さて、この神社の境内はかつて“野々井城”という城があったところなのだと最近知った。
城といっても、戦国時代などの天守閣があるようなタイプではなくて城館というお屋敷的なタイプのものだったようだ。
残念なことに、神社の境内に城跡であることを示す掲示は1つも見当たらないのだけれど、奈良文化財研究所の全国文化財総覧などにも載っているので、データとしてはあるらしい。
ただ、いつ頃の誰の城だったかなどは不明な模様。
言われてみれば、土塁らしい土の高まりも見受けられる。
とはいえ、聞きかじり読みかじりのシロートに語れることは皆無である。
でも、ここにそういうものがあったというロマンみたいなものは感じるのだ。
そういえば、以前お参りに行った取手市“大鹿 金刀比羅神社”も城跡だったらしいことも今回調べていて知った。
白山神社を後にして、スマホのGoogleマップを頼りに歩き出す。
それこそ広いお屋敷のような家(造園業らしい)の外周に道標を発見。
“右 東海道・左 中山道”とある。芝に足を踏み入れることは憚られたので、年号などが書いてありそうな裏側までは確認できなかった。
“新四国大師道”と書かれたこちらの道標は、横に大正二年三月という文字が読めた。先程の白山神社の札所が近いからだろうか。
こちらも新四国相馬霊場巡礼に関するものかもしれないが、文字などは読み取れなかった。
その少し先の分かれ道には馬頭観音もある。
私は右の細い道から山沿いを抜けて、いつもの花見場所へ。
数日前から車で近くを通って眺めてきたが、やっと満開というところか。桜は散っても何だか絵になるのだ。八重桜の濃い色もいい。
野の花も盛りを迎えて眼に入る景色が華やかになったなあ。歩き回るには、少し肌寒いかもという今くらいが丁度いい。
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