巣鴨の寺社

2026/02/20

寺社

東京生まれ東京育ちだが、知らない東京は沢山ある。

今日は初めて巣鴨へ来た。巣鴨って豊島区だったんだな。

JR巣鴨駅から有名な地蔵通りとは反対方向に国道17号沿いを歩き出す。

巣鴨大鳥神社商店街は以前は“巣一(巣鴨1丁目)商店街”という名前だったそうだ。明治時代には最後の将軍徳川慶喜の屋敷があったとある。

店舗や住宅に囲まれた一角に、巣鴨大鳥神社があった。

実にこぢんまりとしているが、酉の市には賑わうのだそうだ。

社務所という家屋があり、書き置きの御朱印もいただけるという掲示もあったのだが呼び鈴を何度か押しても誰もおいでにならないようだったのは残念。

巣鴨駅方向へ戻り、地蔵通りのほんの手前の道を入る。

真言宗智山派 龍鋒山 巣鴨寺 福寿観音

ネットで下調べしたところ、2階にある本堂に行けることが少なくてこの入口すら開いていない日の方が多いらしい。実際に頂いた案内によると、平日は供養や祈祷といった定期的または特別な法要日の午前中だけ開門しているようだ。

こちらの不動明王像は門の外にいらっしゃるので、いつでもお目にかかれる模様。

今日は、毎月行われる護摩祈祷の日に当たり開門していた。祈祷の時間などは把握していなかったので、お参りをさせて頂いて御朱印も頂きたいと思って伺ったのだが、丁度護摩祈祷が始まったところでそれが終わらないとご住職の手が空かないとのこと。

「よろしければ、護摩祈祷を受けられませんか?」

受付で護摩木を戴いて(500円、安い!と思った)、自分で願い事(家内安全とか交通安全や合格祈願など)と自分の名前を書いて本堂へ持って行く。

本堂へ行くと本当に始まったばかりという様子なので、他の方々に混ざるようにギリギリ空いていたド正面後方の床に正座をしたところで信徒さんらしき人が椅子を持ってきてくださったので椅子に座って皆と同じく手を合わせた。

こんな感じで護摩壇で燃えさかる炎と太鼓の音、住職の読経。時折鳴る鈴や法螺貝の音。これぞ真言密教という流れに、頭の中が無になるような興奮するような。こういうのをトランス状態とかいうのだろうか。

(福寿観音リーフレットより)

全員で般若心経を詠む時には、こうやって寺巡りを度々するのだから般若心経の経本くらい持っていてもいいよなあと思ったりした。

ところで、護摩木を持ってきたがどうするのだろうかと思っていたら、それぞれが自分で炎の中に護摩木をくべるシステムだった(システムとか言うな)。

かがんで護摩木をくべる時よりも、燃えさかる炎を背に仏様にご挨拶している時の方が熱かった。

こちらが本堂。

圧倒的に信徒さんが多いので、お互い挨拶をしたりお喋りをしたりしているところを先に失礼した。

ご住職が階下にいらっしゃって書いて戴いた御朱印。金色の混ざった?墨で書かれた梵字がカッコいい。

 こちらを拝受した。御利益ありそう。

以前、合格祈願をした信徒さん(若いお嬢さん)が無事に試験に合格したので、報告と御礼に来てお供えしたものを福のお裾分けとして戴いたお菓子。

ありがたく戴いてきた。

何というか、とても貴重な、ありがたい体験をさせていただいたのだった。

 

福寿観音の並びに江戸六地蔵を奉る眞性寺がある。

真言宗豊山派 醫王山 東光院 眞性寺

江戸六地蔵というのは、主要な6街道の江戸の出入り口に造立された地蔵菩薩座像。眞性寺は旧中山道の地蔵菩薩だ。

甲州街道の地蔵菩薩、内藤新宿の太宗寺も以前お参りしているが、自分でも驚くほど前のことだった。

手入れが行き届いていて落ち着いた寺院だった。そして、絶えずお参りの人が歩いていた。

御本尊の薬師如来と江戸六地蔵の御朱印を戴いた。全体に芸術的。

いよいよ巣鴨の本丸、地蔵通り商店街へ。

といっても、もう13時。まずは腹ごしらえしたいな。

とげぬき地蔵の入口案内が見えてきた手前に蕎麦屋(地蔵そば大橋屋)があったので入る。寺巡りは蕎麦に限る(個人の感想)。

“地蔵そば”というメニューは、普通のもりそばのたれとゴマだれの2種類が楽しめた。ゴマだれで蕎麦というのも美味しい。

そしていよいよ、とげぬき地蔵へ。

とげぬき地蔵尊 曹洞宗 萬頂山 高岩寺
門前に七味唐辛子の店が出ていたりして、何だかいいなと思う。七味唐辛子はよく使うので買ってくれば良かった。

お守りや御朱印などはこちらの本堂内で戴く。

とげぬき地蔵というのは御本尊の延命地蔵菩薩像で秘仏なので直接拝むことは叶わない。

その代わりに御本尊の姿を写した“御影(おみかげ)”という小さな紙札を拝受し、それを痛いところに貼ったり飲んだり(飲む?!) すると“とげ(痛みとか苦しみ)”が抜けるとされている。

こちらが有名な“洗い観音”。水を掛けて手ぬぐいで自分の悪いところを洗うと良くなると言われる。

 

高岩寺を後にして、再び地蔵通り商店街に立ち並ぶ店を眺めながら進んでいく。

昔ながらのイメージの婦人向け洋品店などが目につく。そして、それなりにお客さんの姿がある。歴史のありそうな和菓子店や小洒落たスイーツの店などもあって、老若男女そして海外からの観光客も多く見かける。

巣鴨へ行くと言ったら友人に『巣鴨といったら赤パンツだよね。』と言われてピンと来なかったのだけれど、随分前に巣鴨が話題になった時にそんなこともテレビで言っていたかもしれないと自分の定かでない記憶を探ったりした。 

猿のお尻のイメージもあるし、還暦の赤もあるなあなどと、店に入る勇気がなく遠巻きに眺めながら思ったのだった。

調べてみたら、約20年前の2004年の申年に“申年に赤い下着を身につけると病が去る(サル)”という言い伝えからメディアが取り上げて流行ったということだった。

商店街の端まで歩いてきた。ここには巣鴨庚申塚がある。都電荒川線庚申塚駅の庚申塚とはこれのことだ(もちろん駅に来たことはない)。

本当に交差点の際にあって一瞬見落とした。

ここは猿田彦大神も祀られている。

神社の狛犬や狐のように猿がいる。 

庚申堂に手を合わせてきた。

庚申の日には祭事があり賑やかになるということだ。ただ、こうやって平日昼間にお参りをしてちょっと写真を撮ったりしている間にも幾人もの人がお参りにきていて驚かされた。


庚申塚の横の通りを歩いて国道17号を渡る。巣鴨駅の方へ戻ってきて、細い道路を都営染井霊園の方へ入る。

今回、巣鴨を訪れるにあたって地図を眺めて、広い霊園の周りに寺院の多いことに気付いた。

元々寺院が多くあったから霊園ができたのか、墓地があったから寺が増えたのか。水戸徳川家の墓所だったとウィキペディアさんには記述がある。

そんな染井霊園の周りの幾つかの寺院もお参りすることにした。

法華宗 徳栄山 惣持院 本妙寺

門の前には“史跡 遠山金四郎景元之墓”という表示がある。ドラマなどで有名な遠山の金さんのお墓があるらしい。

全体的に新しめの作りの印象だが歴史は古く、駿河国から徳川家康が江戸入りする時に一緒に移ってきたという。その後、関東大震災や東京の空襲などを経てきているので、こちらだけでなく都内の寺社は新しい建物を多く見かける。 

遠山金四郎の墓。

お墓を撮影するのは失礼なのかなと思ったのだが、今となっては“史跡”扱いなのでお許し戴こうとしっかりと拝んできた。

こちらの墓地には、明暦の大火(振袖火事)の供養塔や本因坊(囲碁の家元)歴代の墓、千葉周作(幕末に活躍した剣聖で北辰一刀流の開祖)の墓などもある。

法華宗なので御首題を戴いてきた。

 

住宅と墓地の間の横の細い通りを歩いてくると、今どきの管理された霊園に出た。

そちらを管理している寺院が

真言宗 龍源山 功徳院 東京別院
大分県由布市にある功徳院の別院という形のようだ。

寺務所(管理棟)が少し離れた位置にあるので、探し回ってしまった。

十一面観音・大日如来(本尊)
不動明王・薬師如来

書き置きということだったが、とても丁寧に書かれたものを準備してくださっているというのがありがたく嬉しかった。

 

右も左も墓石という、とても車は通れないのではないか、実は霊園の通路なのではないかというような細い道を歩き、案の定曲がるべき道を通過してしまい行ったり来たりしてしまった。

日蓮宗 正寿山 慈眼寺

元々は安土桃山時代~江戸時代初期に今の江東区深川で創建されたが、明治期に2度の水害に遭い移転したということだ。

こちらで管理する墓地に芥川龍之介や谷崎潤一郎の墓があるそうだが、文学論で因縁のある2人が同じ墓地に眠っているというのは興味深いものだ。

御首題を戴いた。文字の雰囲気が柔らかく可愛らしい印象。

 

勝手に想像していた巣鴨の街は、それこそ“おばあちゃんの原宿”と言われる渋いイメージだったのだけれど、新しいビルやビジネスホテル、飲食店、スーパーなどが建ち並び、地蔵通り商店街は歩きやすい道に整備されていて、しかし昔からの佇まいはしっかり残されている歩き回るのに楽しい街だった。