刀を観に大宮へ

2026/02/04

芸術鑑賞

JR柏駅から東武野田線に乗り換えて大宮公園駅。ずっと座ってこられたので楽ではあったが、乗り出があった。

“埼玉県立 歴史と民俗の博物館”を訪れた。

現在ここで“国宝太刀・短刀の公開”という特集展示があり、それが目的だ。

もちろん、例によって“刀剣乱舞ONLINE”で扱われている刀なのだ。 

入口を入ったら正面に撮影スポットが設置されていた。
平日の昼前のせいか写真を撮っている人にすら出会わなかったが、土日はそれなりに混雑するだろうから、展示室近くに置かない方が良いだろうなと私も思う。

近頃は、持参したマスコット類を置いて撮影できるような、博物館や美術館のミニチュアセットが置いてあるのを度々見掛ける。


民俗の博物館なので古くは旧石器時代の発掘出土品から現代に至るまでの、民俗としての展示品を時代を追って観ていけるようになっていた。

刀を観に来たのだけれど、非常に興味深い(好きな)物が沢山あったので全ての展示室を観て歩いた。

こういう出土品とかタマラン、大好き。

埼玉県は海こそないものの山や川、起伏に富んだ土地なので古墳などの遺跡があちこちにあって、出土品も多岐に渡るようだ。

さて、肝心の刀だ。

[国宝 短刀 銘 備州長船住景光(謙信景光)]1323年

[国宝 小サ刀拵(ちいさがたなこしらえ)]

備前長船派の刀工・景光によるもの。 

 独特の刃文が面白い。

茎に“備州長船住景光”と彫られていて、刀身には“秩父大菩薩”の彫刻がある。

上杉謙信の愛刀として有名だが、元々は武蔵国秩父出身の武士・大河原時基が景光に作刀させて秩父神社に奉納したものだとされている。

要するに、奉納された後に秩父神社から持ち出されて上杉謙信の手に渡ったということだ。
この短刀の作刀から2年後に同じく秩父大菩薩の刀身彫刻が入った太刀が作刀されて秩父神社に奉納され、現在は皇室御物として現存している。

写真撮影は出来なかったが、その御物太刀の写しも展示されていた。

御物太刀の作刀から4年後に作られた太刀。 

[国宝 太刀(景光・景政 作)]1329年

茎に大河原時基が移住先の播磨国(兵庫県)で廣峯神社に奉納した太刀という彫刻がある。


[太刀(無銘 伝 雲次)]14世紀

 

[刀(無銘 伝 志津)]14世紀

氷川神社の社家を務める家に伝わる刀。ここで氷川神社というのだから、大宮氷川神社のことなのだろうと思う。

本阿弥家分家による鑑定書(折り紙)も伝わっていて、正宗十哲の志津兼氏と極められているとのこと。

刃文が特徴的。
 

昭和20年、戦後にGHQによって接収されていた刀は東京都北区赤羽にあるアメリカ陸軍の兵器補給所に集められていて、それら接収刀剣は通称“赤羽刀”と呼ばれていた。

多くが廃棄・海外流出などで失われたが、昭和22年に美術的価値が高いと判断されたものが返還されて元の所有者へ返還したものの、所有者不明などで返還しきれず国が保管していたものが多数あった。

平成11年に、返還しきれないで国の所有となっていた刀剣を、公開を条件に全国の公立博物館に無償で譲渡された。

こちらの博物館でも21振りの刀剣を収蔵しているとのこと。

(展示室に掲示されている説明文を大雑把にまとめた)

その内のひとつ。

[刀 銘(葵紋)康継於越前作之]江戸時代前期 三代康継

黒錆や赤錆が点在して鎺(はばき)が失われた状態だったものを、研磨して錆を落として修復。鎺は新調したもの。

茎に葵紋が入っている。


鎧兜も幾つか展示されていたのだけれど、

[紺糸威二枚胴具足(こんいとおどしにまいどうぐそく)] 江戸時代中期

兜に象がいるって……いや、いるっていうか兜が象の顔っていうか……

当時このデザインを考えたって斬新だっただろうな。


地下からの吹き抜け部分には大量の石碑(板碑)。

板碑というのは石で作られた卒塔婆(供養塔)のことで、鎌倉時代から室町時代に集中していて全国的にあるものの、特に関東に多いのだそうだ。
[野上下郷石塔婆(複製)] 応安2年(1369年) 長瀞町野上下郷小坂区 蔵

地上高 5.37mの日本一大きな板碑。


ここで歌川国芳の絵が観られるとは思わなかった。

[画帖 歌川国芳 筆]江戸時代末期(19世紀)

展示品の説明文には武者絵について触れられているのだけれど、隣の頁には猫がいるんだよなあ。

国芳は武者絵も多いが、猫の絵も多い。


昼前に着いたのに、すっかり楽しんで13時前になっていた。

ミュージアムショップ兼カフェでチキンカレーとアイスコーヒーを戴いた。

埼玉県は子供の頃から身近だったので、地名などに親しみがあるので何を見ても面白かった。こういう民俗博物館はいいねえ。